年間第12主日

マタイによる福音 10・26〜33
2005年6月19日


有名な画家アルブレヒト・デューラー〔1471〜1528〕は、幼い時から画家になりたいと思っていました。
彼は当時有名だった画家のところに訪ねて行き絵を習いたいと言いました。その画家のところにはデューラーと同じ年頃の書生が一人いましたが、彼らはすぐに仲良くなりました。ところが二人はとても貧しかったので絵を描くどころか毎日の生活さえも大変な状態でした。ある日、デューラーの友達は自分たちの状況を案じて一人が絵を描いて、もう一人がお金を稼ごうと提案しました。そして、また後で役割を交代すればいいと言いました。
初めは終わっていたデューラーでしたが、そうしなければ二人とも絵を諦めるしかないと言った友達の言葉を聞いて提案を受け入れることにしました。
まずは友達の方から先に金を稼ぎました。その間、デューラーは一生懸命絵を描いて何年か後には展覧会を開くほどまでに才能を開花させました。作品が初めて売れた日、デューラーは友達を訪ねました。
しかし、彼は辛い労働のせいで指が曲がってしまい絵筆を持つことができなくなってしまいました。 デューラーはとてもショックを受け深い悲しみに落ちてしまいました。友達の犠牲によって、自分は成功できたと思ったからです。そんな、ある日またデューラーが友達を訪ねると友達はデューラーのために祈っていました。

祈りの手

「あっ、あの手! 今の私があるのは、あの手を描こう。そして友達のありがたい犠牲を世の全ての人に伝えよう。」こうして生まれたのが、あの有名な「祈りの手」だそうです。

この作品は今も私たちに心を震わせる名作です。またこの作品は、人間を最後まで愛されたイエス様の犠牲的な愛に私たちを目覚めさせてくれます。

今、私たちは誰のために犠牲を捧げているのか、しばらく考えてみましょう。

アーメン


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