復活の主日

ヨハネによる福音 20・1〜9
マタイによる福音 28・1〜10
2005年3月27日


一羽のカラスが肉のかたまりをくわえて空に舞い上がりました。すると、十数匹のカラスが、その肉のかたまりを奪おうと必死になりました。結局その騒動に耐えられなくなったカラスは、肉のかたまりを落としてしまいました。カラスの群れはその肉のかたまりをつまもうと下の方へ飛んで行きました。がらんとした空間に一人残ったカラスが言います。
「やっと、このがらんとした空と平和だけが残ったんだな。」
ひょっとすると、これが人間の暮らす姿なのかも知れません。
執着心と欲を捨てた時、初めて広い空と平和を得る事ができます。
それなのに、私たちはしきりにもっと手に入れよう、もっと奪おうとします。

今日は復活の大祝日です。
誰かが復活を冬の木の生態に例えて言いました。
木は美しい春の思い出、活気あふれる夏の青さに対する未練、誇らしげな秋の実りと紅葉を全部払い落として裸となって冬を迎えます。また冬の間凍らないで寒さに耐えるために枝に残った水分も捨てて栄養分も全部根の方に送って完全に枯枝として過ごさなければなりません。
すべてのものを失った痛みは、まさに死の苦しみです。

冬の木の姿から私たちは復活の意味を考えることができます。復活を過ごすためには必死につかもうとする執着心から離れなければならないということです。
手に入れようとする執着心から離れなければなりません。
安住しようとする執着心から離れなければなりません。
認められたいと思ったり、偉ぶって見たいと思ったり、勝とうと思って生きる、そういう欲から離れなければなりません。
君臨しようとする執着心から離れなければなりません。

執着心と欲から離れるということは自分を無にする犠牲の暮らしの中から復活の暮らしが続いていくことを意味しています。冬の気のように自分を全て無にした時そこから死を越す復活の種が撒かれて、復活を体験することができるのです。

青山は我を見て、ことば無きに暮らせと言い
蒼空は我を見て、けがれ無きに暮らせと言う
愛も脱ぎ捨て
心も脱ぎ捨て,br /> 水のごとく、風のごとく、暮らした後に行けと言う

アーメン

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