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 第十二回 メシアは東から  ベタニアからエルサレム

■     ベタニア…エルサレムの東約3キロに位置するこの村は、イエスの友人であるマルタ、マリア、ラザロの住んでいた場所である。たびたびイエスはこの家の客となっていた(ルカ福音書10章38〜42節)。ここでイエスは、死んで4日になっていたラザロを復活させる(ヨハネ福音書11章)。受難の前、イエスはここからエルサレムに入城し、またここに宿をとっている(マルコ福音書11章1〜11節ほか)。現在、マルタとマリアの家の跡といわれる場所に記念聖堂が建てられており、祭壇上には、Ego sum resurrectio et vita. (わたしは復活であり、命である)というキリストの言葉が記されている(ヨハネ福音書11章25節)。すぐ近くに、空になったラザロの墓を訪ねることが出来る。

■     ベトファゲ…ベタニアからエルサレム入城の途中、イエスがろばの子に乗った場所(マタイ福音書21章1〜11節ほか平行箇所参照)。ろばの背に乗るためにイエスが足台にしたといわれる岩が残されており、フランシスコ会の管理する記念聖堂になっている。

■     御昇天記念聖堂…ベトファゲからさらにエルサレム寄り、オリーブ山の山頂付近に小さなドームが設けられている。復活の後、弟子たちに現れたイエスが昇天した地とされている(ルカ福音書24章50〜53節、使徒言行録1章7〜12節)。内部にイエスの足跡といわれるくぼみが残る。

■     主の祈りの教会…ラテン語の主の祈りはPater Nosterの言葉ではじまるため、この名で呼ばれる。現在カルメル会修道院となっているこの場所は、伝承によりイエスが弟子たちに主の祈りを伝えた場所であるとされる(マタイ福音書6章5〜15節、ルカ福音書11章1〜13節)。世界中の言葉で主の祈りが刻まれている。

■     主の涙の教会…Dominus Flevit教会。イエスは救いの歴史の中で、選ばれた町でありながら神の言葉を告げる預言者を受け入れず、救い主の到来を信じることの出来なかったエルサレムを嘆く(マタイ福音書23章37〜39節および平行箇所)。エルサレムを見下ろすオリーブ山中腹に、この出来事を記念する聖堂が建てられ、内部から祭壇の彼方にエルサレム市街を望むことができる。祭壇のレリーフは「羽の下に雛を集める雌鳥」である。

■     黄金門…オリーブ山からエルサレムの城壁を望むと、神殿域の東に閉ざされたままの黄金門に気づく。メシアは東からエルサレムに来るという伝承から、来るべきメシアの到来のとき開かれることになっているのである。イエスは確かに東から、エルサレムに入った。ただし、凱旋する王の姿ではなかったが。門はまだ閉ざされている。

■     エン・カレム…洗礼者ヨハネの故郷とされる。エルサレムの西約3キロに位置。祭司ザカリアとその妻エリサベツの家があったという場所に洗礼者ヨハネ誕生の教会が、またザカリアの別荘があったとされる場所に聖母マリアのエリサベツ訪問教会が建てられている(ルカ福音書1章参照)。聖母の訪問教会にはマリアの賛歌マニフィカトが世界中の言葉で刻まれており、内部には、ヘロデの兵隊が幼子を殺しに来た際(マタイ福音書2章16〜18章)、幼い洗礼者ヨハネが隠れて難を逃れたといわれる岩がある。上の聖堂のステンドグラスは、聖母の連祷(カトリック祈祷書参照)からとられた幾つかの神秘をモチーフとしている。

■     エマオ…エルサレムから約11キロ離れた村で、復活の日の夕刻、イエスが旅人の姿で二人の弟子に現れた地である(ルカ福音書24章13〜35節)。かつてのエマオの位置については聖書写本の異読があり議論されている。可能性のひとつエル・クベイベでは、出現を受けた二人の弟子の一人、クレオパの家の跡とされる場所に記念聖堂が建っており、その脇にはイエス時代のローマ街道が残っている。