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 第十一回 死海のほとり

 

■ ヘブロン…エルサレムとベトレヘムを結ぶ線上の南30キロに位置する。ここのマクペラの洞窟はアブラハムが妻サラの埋葬のために買い取った墓地で(創世記23章)、以来アブラハム(同25章7〜10節)、イサクとその妻リベカ、ヤコブとその妻レア(同49章29節〜50章14節)が葬られている。太祖の墓所として重要な聖地とされる。またヘブロンは、エルサレムに上る前のダビデがユダの王として住んだ町でもある(サムエル記下2章1〜11)。

■ マムレ…ヘブロンの北3キロほどの地点。ある暑い真昼に3人の旅人を迎えたアブラハムが、樫の木の下で天幕を張っていた場所とされる(創世記13章18節、18章1〜15節)。この客人は神の人で、妻サラから男の子が生まれると予告する。天幕で聞いていたサラは「ひそかに笑った」のをとがめられて打ち消すが、「いや、あなたは確かに笑った。」と宣告される。後に生まれた息子の名はイサク、「笑う」という意味である(同17章15〜19節、21章1〜7節)。

■ ロトの妻…死海南端西はかつてのソドムの地といわれる。ソドムはアブラハムの親族、ロトが入植した地である(創世記13章)。アブラハムにイサク誕生の予告をした神の人はソドムに向かう。この町は神の目に悪とされ、アブラハムの懸命の交渉にもかかわらず滅ぼされてしまう。ロトとその家族は救われるが、「後ろを振り返ってはいけない」との指示に従えなかったロトの妻は塩の柱となった(同18〜19章)。現在、死海浮遊体験ができるエンボケック地区の南に、「ロトの妻」といわれる岩塩の柱がある。

Titus の凱旋門
ローマ、ユダヤ戦勝記念Titusの凱旋門

■ マサダ…マサダは聖書に登場する地ではない。ヘロデ大王が宮殿を築いた要塞陣地であり、死海中部西岸に位置するひし形の高台である。死海水面からおよそ400mの高さを持つ。第一次ユダヤ戦争の最後の抵抗地として900人ほどが篭城したが、エルサレム陥落後捕虜となったユダヤ人を使ってローマ軍が進入路を作ったため、同胞を攻撃できず、反乱軍は自害して果てた。水や食料が尽きたために自害したと思われないために、貯水槽と食糧倉庫は破壊せずに残してあったという。現在もシナゴーグをはじめとする要塞内部、大規模な貯水施設、包囲したローマ軍の陣地後を見ることが出来る。

■ クムラン…死海北端西岸。1947年、ベドウィン(遊牧民)の少年によって偶然に洞窟に納められた写本が発見された。これは紀元前にさかのぼるイザヤ書のほぼ完全な写本であった。以来、調査の結果、近隣の洞窟から数多くの写本が見つかる。これが死海写本である。隣接する台地からはイエスと同時代のユダヤ教の一派、エッセネ派の共同体跡と想定される遺跡も見つかり、これが写本の持ち主であると考えられている。数次に及ぶ戦火の下で、専門家で構成される国際研究チームが無数の断片をふくむ写本の同定、研究にあたっている。エッセネ派はエルサレムの神殿礼拝と一線を画した祭司集団と考えられ、律法に基づく独自の戒律のもとで厳格な共同生活をおくっていた。第一次ユダヤ戦争の際に、この共同体は破壊されるが、このとき写本が洞窟に隠されたと想定することも出来る。なお、エルサレムのイスラエル博物館にある死海写本館は、洞窟で見つかった写本を収めていた壷の蓋をイメージした建物である。

クムラン第4洞窟

■ エリコ…出エジプトの民を率いたヨシュアがヨルダン渡河後に落とした町である(講座E参照)。新約では、エリコは宣教生活に入る前のイエスが誘惑を受けた山のある町とされ(マタイ4章1〜11節および平行箇所)、盲人バルティマイが座っていた町であり(マルコ10章46〜52節および平行箇所)、徴税人ザアカイが上ったという「いちじく桑」の巨木(ルカ19章1〜10節)がある町でもある。