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第二十五回 聖霊降臨              Pentecoste
     
 

■ 旧約聖書に描かれる「神の霊」(旧約聖書では「聖霊」という呼称は用いられない)
- 創造…「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」(創世記1章1〜2節)
- 預言…「主は雲のうちにあって降り、モーセに語られ、モーセに授けられている霊の一部を取って、七十人の長老にも授けられた。(…)若いころからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは、『わが主モーセよ、やめさせてください』と言った。モーセは彼に言った。『あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。』」(民数記11章25〜29節)
- 神の僕と福音の告知…「主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。/主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め/シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。」(イザヤ61章1〜3節)
- 刷新…「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。」(詩編104篇30)
- 遍在…「どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうともあなたはそこにもいまし/御手をもってわたしを導き/右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」(詩編139篇7〜10)

■ 新約聖書による聖霊降臨の記述
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章1〜4節)

■ ユダヤ教の五旬祭は収穫祭の性格を持つ農耕の祭として、過越祭の7週目すなわち50日目に祝われた。また、出エジプト後50日目にモーセがシナイ山頂で神の十戒を受けたという伝承により、律法の記念日としても祝われるようにもなった。聖霊降臨はこの五旬祭の日の出来事であった。さらに、ある伝承によれば、モーセの受けた十戒はすべての民が理解できるように70の言葉で記されたとされており、聖霊降臨による万国の言葉による福音宣教の始まりを想起させる。

■ 聖霊の七つの賜物…イザヤ書2章1〜3節の記述に基づき、カトリック教会は聖霊が人間に与える七つの賜物を教えている。上智(知恵)sapientia・聡明(理解)intellectus・賢慮(判断)consilium・剛毅(勇気)fortitudo・知識scientia・孝愛(神さまを愛するこころ)pietas・敬畏(神さまを畏れるこころ)timor Dominiの七つである。

■ 聖霊降臨は教会の暦の中で復活祭に次ぐ祝祭の一つとして盛大に祝われてきた。その一つのしるしは、典礼改革で廃止された「続唱」(sequentia)が、復活祭と聖霊降臨祭にのみ残されたことである。Veni Sancte Spiritusという言葉に始まる「聖霊の続唱」は、聖霊がもたらす実りを豊かに描いている。典礼祭儀のなかで聖霊を表す象徴は非常に豊かで、水、油、火、雲と光、印、手(按手)、指、そして鳩などである。典礼色は赤を用いる。