個展点描

ドベルグ 美那子


カトリックセンターには画家が多く出入りする。週二回ボランティアで水彩画を教えておられる佐々木真紀さんもその一人である。4月にはVilleneuve St Georges市主催の個展を開かれた。今回はそれをとり上げてみたい。会場は同市のエスパス アンドレ・ブーケで、デッサン、パステル、水彩、油彩など130点の作品が一堂に展示された。その中には幼年期の2人の娘さんを描いたものもある。10才の時の長女セリーヌさん(油彩)や生後2ヶ月の次女アンヌさん(デッサン)の絵がそれで、自分の娘を描き続けた19世紀の閨秀(けいしゅう)画家ベルト・モリゾの作品と共通するほのぼのとした母性愛が滲み出ている。無心に眠る幼な子は今は大学生になって、会場でまめまめしく立ち働いていた。
 絵画を具象と抽象に大別するなら、真紀さんの作品は前者の範疇(はんちゅう)に属する。すなわち、人の目に映る物の姿をかたどった象形的絵画である。しかしそれは単なる写実ではない。本物そっくりに描くことは或る程度練習すれば誰でもできる。問題はそれをどのように自分の“言葉”で表現するかであろう。この場合“言葉”とは色彩であり、構成であり、更に根本的なものは作者の“魂”である。こうして生まれた作品が真の意味での創作である。自分の“言葉”をもたない絵はそれを見る者の心に語りかけてこない。両者の間の対話は不在なのだ。そのよい例は、数ある展覧会で時折り見かけることだが有名画家のエピゴーネン(亜流)とすぐわかる作品である。真紀さんは自分の“言葉”で絵を描く。
 絵画の基礎となるのは写生である。巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのデッサンについては贅言(ぜいげん)を尽くすまでもなく、抽象画家もこの訓練を積み重ねている。モンドリアンのかの有名な“木”は綿密な写生から始まっている。真紀さんの特製上着のポケットには常に小型スケッチブックがひそんでいる。
 今回の個展は、写生から複雑なコンポジション作品に至る制作過程をよく示されていた。スケッチブックを埋める風景や人物の写生、デッサン、力強い人体クロッキー、やさしいトーンの水彩の花シリーズ、ボリュームのある風景と人物の構図の油絵。これらは長年たゆまず続けてきた制作活動の結晶であるが、画歴が示すようにこれまでにも個展や合同展に多くの作品を発表しておられる。
 この画家のオリジナリテは、自然や人間に向けられた温かいまなざしであろう。ベンチに憩う老女、いたわり合う老夫婦のモチーフは早い時期の作品に既に現れている。それを反映してか、画面を支配するのは暖色が多い。雪の冬景色さえ暖かく感じられるのだ。教会の見えるSt Georgesの街を描いた風景には、人物像が必ず登場する。どこかで出会ったような人たちが立ち止まって話をしたり、通りすぎたりする。大人もいれば子供もいる。犬や猫も参加する。つまり人間の営(いとな)みが描かれ、絵が息づいている。水車のある風景やノルマンディーの村の作品も人間の存在を暗示しているかのようだ。何れも親しく人間と関わりがあるからである。
 日常生活に身近な四季の花や植物、果物を描いた水彩画にも、すみずみまで神経が行き届いている。ここには、清濁併せ呑んでゆるやかに回転し、新しい生命をもたらす大自然の働きへの驚きと讃美がある。これらの作品と並ぶ異色の一点は“夜の海”と題する幻想的な商品である。宝石を散りばめたパンドラの小箱のように輝き、 “ホフマン物語”のベニスの舟唄barcarolleのメロディーが聞こえてくるようだ。画家はメルヘンの世界で楽しんでいる。
 真紀さんはすぐれた教育者でもある。St Georges市では子供たちに絵や粘土の造形を指導しておられる。個展期間中には、カリキュラムに従って子供たちが会場で絵の実習にやってくる。彼らは自分のまわりの物や自然を注意深く観察するようになり、創作の喜びを知る。
 天与の画才に恵まれた真紀さんは、それをすべての人に分かち与え伝えようとする。画家の秘法さえ惜し気もなく懇切丁寧に教えてくれる。与える喜びを知っている人だ。“私が他人のために奉仕できるのはそれ位のことです。”と謙遜して彼女は云う。“人それぞれが持っている才能を出し合い、支え合って皆が仲好く暮らせる世の中にしたい”というのが彼女の夢であり、祈りである。