生命の福音

- 胎児の医療研究利用について -

湯沢慎太郎
 
 現在、フランスのバイオ・テクノロジーの専門家の一部が、胎児(embryon - 受胎から八週間以内の胎児)の研究利用の法的禁止をとくことを政府に要求しています。

 胎児を人間となる可能性と尊厳をもった存在と定義した1994年のフランス国立生命倫理委員会の判断を、科学知識の進歩から見ればもう通用しないものとして、撤回を求めているのです。
なぜ、一部の専門家たちは、しつように胎児の研究利用をもとめるのでしょうか。

 これは、胎児の胚(はい)性幹細胞(human embryonic system cells - ES細胞)のもつおどろくべき特質が研究上でたいへんな可能性をもっているからです。
 ふつうのからだの細胞が神経細胞、筋肉細胞などに分化しているのに対し、胚性幹細胞は分化全能(totipotent)で、その分化を誘発する遺伝子さえ見つければ、どのような細胞にも分化させ、どのような臓器でも作ることができるからです。


   そこで次のような応用が考えられます。
− 細胞の分化のメカニズムを解明し、がんの遺伝子的治療を可能にする。
− 多様な細胞に分化させ、化学物質への反応を分析し、医薬品の開発に役立てる。
− 臓器移植への応用:被移植者の遺伝子を組み込んだ胚性幹細胞を必要な臓器に分化させ、移植すれば拒絶反応がおこらない。これには動物の卵母細胞を使うことも可能(キメラ胎児 − クローン技術の一種)
  
  そして、これらの研究はすでにアメリカ、カナダ、イギリスにおいては実際に行われ、近い将来に実用化されることが予想されています。

  これらの国では実験に使う胎児は人工授精の過程にできる過剰胎児(embryons surnumeraires)で、いずれ廃棄されるものを医学の進歩に役立たせるのですから、なんら倫理的な問題はないと判断しているのです。

  ここに大きな欺瞞があります。
Jacques Testart(国立衛生医学研究所の研究者、フランスで最初の試験管ベビーを誕生させたが、現在は批判的)が指摘するように、かれらの本当の動機は経済的なものだからです。

  生命の真の意味を知っているのは、バイオ・テクノロジーの専門家たちではない。
 教皇ヨハネパウロ二世が1995年3月25日に送った回勅、Evangelium Vitae(生命の福音)のなかではっきり述べているように、生命の意味はわたしたちすべてに自然にあたえられています。

  その啓示とはキリストの受肉の神秘、そして復活による死への勝利であり、それはマリアの受胎の喜びから始まっています。
 受胎したときから喜びをもってむかえられる胎児は、その時から人間としての存在なのです。このことは、だれにでも、特に親になったひとなら理解できると思います。
  
   科学技術はそれを操作し、利用することしか知らず、その万人に啓示された意味については盲目なのです。
キリスト者であるわたしたちは、この啓示された生命の福音をのべつたえなければなりません。

 
巨大になった科学技術:バイオ・テクノロジー、コンピューター・テクノロジー、核エネルギー技術などが人間を傲慢におちいらせないためには、現在、もっとも危急なことは、わたしたち自身の回心だけなのです。

「はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、けっしてそこに入ることは出来ない」
(マルコ10・15)

 

参考サイト : 

Recherche sur l'embryon : comment redefinir les regles ?
http://www.cite-sciences.fr/francais/ala_cite/evenemen/bioethiq/programme.htm

Evangelium Vitae (en francais)
http://www.emmanuel-info.com/fr/eglise/textes/encycliq/Jp_ii/Evangelium_Vitae.htm

フランス国立生命倫理委員会 ( CCNE)
www.ccne-ethique.org