クリスマスの説教

原田雅樹神父o.p.

 子供が生まれてくるとき、母親は心の深いところで子供に、「あなたが、この世界に来るのは、とてもすばらしいことよ」と呼びかけるものと想像しています。その子供が、障害を持っていようが、健康であろうが、その喜びの叫びは変らないものと思います。その子のこれからの人生には、いろいろな試練が待ち受けているかもしれませんし、親の期待した通りには育たないかもしれません。しかし、そんなことは度外視して、母親は、子供の誕生を喜び、子供の存在を無条件に美しいもの、よきもの、自分の命より大切なものとして、受け入れることと思います。そして、父親も含めて、両親ともに、「おまえがいるということは、それだけで素晴らしいことなのだよ」と無言のうちに呼びかけながら、子供を育てていくのです。子供にとって、自分が両親の喜びだということが最大の喜びで、その喜びに参与することによって、他の人にも、その喜びを分かち合っていくのだと思います。

   創世記の中で、神は、「あれ」という呼びかけによって世界を創ります。そして、「おまえは素晴らしい、美しい」と一つ一つのものに呼びかけます。とくに、人間を自分の似姿として創り、「はなはだ美しい」と呼びかけます。私たち一人一人が、かけがえのないものとしてあるということが、神にとって、大きな喜びであり、その神の喜びがあるからこそ私たちは、存在しているのです。と同時に私たちの人生には、否定し難い痛み、傷、分裂、争いがあります。私たちの存在が、神のこの上ない喜びであるがゆえに、私たちの傷、分裂は、神のこの上ない痛み、苦しみとなります。

   クリスマスの喜びは、第一に、神の大きな喜びを意味しています。神の子が、本当の人間になることによって、神は人間と出会います。人間を探し求めます。神は、キリストの人間性を通して、私たち一人一人の人間と出会うことを求めています。神は、キリストの人間性を通して、人間のすべての現実、喜び、悲しみ、分裂の中に身を置きました。クリスマスは、私たち一人一人のかけがえのない人間が、神のこの上ない喜びであるというメッセージにほかなりません。今日の福音の朗読の最後に「地には平和、御心にかなう人にあれ」と読まれます。「御心にかなう人」と訳されていますが、原文には eudokia というギリシャ語が使われています。「御心にかなう人」と訳すとすごく道徳的に解釈されて、神の与えた掟をきちんと守って歩んでいる人と理解されてしまうかもしれませんが、第一義的にはそうではなく、eudokia とは、第一に神に喜びを与える人のことです。神に喜びを与える人とは、頑張って生きて、見える形にしろ、見えない形にしろ、その頑張り方にしたがって神が報酬をくれると待ち構えて、何か自分を他者と違った特別な立派な人間と見ている人のことではありません。神に喜びを与える人とは、神がキリストの人間性を通して出会う人のことです。人生の中で傷を負い、人間の意地悪さや分裂の犠牲となった人を神は、心を痛めて探します。どのようにしてでしょうか。キリストが、本当の生身の人間として、そのような人間の痛みを、もっとも典型的、悲劇的な形で現実の歴史上で引き受けるということによってです。そして、一人一人の人間と、特に傷ついた人間と本当に出会うことを、今日、今、探しているのです。クリスマスの喜びとは、まず神の子が人間となることによって神が人間の現実を身をもって受けとめ一人一人に出会っていく神の喜びです。
 
 クリスマスの喜びの第二の意味は、この第一の意味から出てくるのですが、それは神の喜びに参与する私たちの喜びです。神にとって、私たち一人一人の存在が、この上ない喜びであることに参与する私たち人間の喜びです。私たちは、歴史上に生きた人間イエスが、神の子キリストだという事実によって神と出会うことができるのです。私たちが本来の人間性の美しさを回復することによって、心と体を持った一個の人間の全体性を回復することによって、神と出会います。人間イエスがどう生きたかを知ることで、神が、どのような方であるかを知ります。神の喜びに参与する喜び。それは、決して感傷的なものではありません。今日、私たちのうちに生まれたイエス・キリストの弟子に本当の意味でなることによってしか、この喜びを十全に味わうことはできません。キリストの本当の弟子になるため、そして、神の子が私たち一人一人のうちに今日生まれるために、二つの心を心に留めておきたいと思います。

1.憎しみの連鎖を断つこと。すなわち、赦しによってしか人とのそして神との交わりが築けないことを心に刻むこと。
2.どんなに苦しい状況にあっても、どんな不条理に出会って、神などあるはずないと叫びたくなるときにも、神に対する信頼を持って、希望の証人なること。

この二つのことを心に刻んで、クリスマスの喜び、
人間との出会いを求める神の喜びに参与していきましょう。

 

2001年12月24日