康子さんを偲んで

 

受けいれし苦しみたえて君逝けり

春まだ浅き 弥生(やよい)の朝(あした)

レニエ石川康子さんが四旬節第一主日3月9日の朝サンリスの療養所で息をひきとられた。3年余に沍る癌との闘病生活のあとだった。ご本人もさることながら看護に尽された御主人レオンさんの苦痛と勇気は並大抵のものではなかったに違いない。3日後に行われた地域の教会のミサ葬儀には、日仏のご遺族、遠近からかけつけた友人知己の参列者が教会を埋め、康子さんが常々から如何に皆から愛されていたかを如実に物語っていた。パリから来た日本人有志は柩を囲み「故郷(ふるさと)」を歌って故人への追悼とした。教会を出て柩を乗せた車は御自宅の前を通り過ぎ静かに墓地へ向かい、一同の見守る中で新しい墓地に埋葬された。献花は墓を覆いかくす程で、花に包まれた康子さんは永遠の眠りについたのである。
 石川康子さんといえば誰でも思い出すであろう、あの明るい笑顔と声、甲斐々々しい奉仕ぶりを。物事を冷静に判断し、テキパキと処置していく実行力、たえまない知的、精神的向上心を。勉強会に参加される傍ら絵筆も振い、趣味も廣かった。働く女性として職場では複雑な仕事もこなし、家庭では御主人のよき伴侶として家事を切り盛りされた。息子さんのジェローム君も成人して今は生後一年の赤ちゃんのパパとなった。病室の枕もとにはそのお孫さんの写真が飾ってあったという。御主人の話では、康子さんが書類などキチンと整理しておいてくれたので、あとの処理に大変助かったということである。すべてに気を配る人だった。次のエピソードは彼女の人柄の片鱗を示すものである。ただでさえ気の滅入る孤独な病室から家に戻りたくないかとの見舞客の問に、康子さんは微笑しながらキッパリ答えたそうである。「いいえ、私のためにレオン(御主人)をこれ以上疲れさせるのは気の毒だから」。苦しい中にあっても、自分より相手のことを気遣うやさしい心根の人だった。
 このような妻に恵まれたレオンさんは幸せな人である。それだけに、念願の自分たちの家も建て、すべての義務から解放されて、いよいよこれから夫婦水入らずの生活が始まろうとする時、妻に先立たれたレオンさんの悲しみは如何ばかりであろうか。葬儀のあと御自宅に招かれて故人を偲ぶひと時を過し、お宅を辞する時見送りに立たれたレオンさんの肩の力が脱けたような姿、涙に濡れた若いジェローム君の顔は人の心を強く打った。
これ程までに人に惜しまれて世を去ったあの小柄な康子さんの大きな存在の秘密はどこにあるのだろうか?それを考えてみたい。世の中には所謂才女とかスーパーウーマンはいる。それとは違うのだ。それを超越する根本的な強い何ものかがある。きく所では渡仏されて間もない頃、留学生に哲学を教えていた或るドミニコ会修道女に出会い、そのすすめでパリ日本人カトリックセンターに出入りするようになり、教理を勉強して洗礼を受けられたという。それ以来積極的にセンターの活動に参加され、奉仕を続けられた。遠方に住むようになってからも、癌の病名が明らかにされてからも、センターのコンサートや新年会の準備のために出てこられた。
 周知の如く、日本人カトリックセンターは信徒であるなしを問わず廣く在仏日本人に開放されている親睦と出会いの場である。聖書を読む会だけでなく、いろいろな文化活動、慈善の催しも行っている。一日の仕事や勉強に疲れた時、ちょっと立ち寄って一ぱいの熱いお茶を飲みながらくつろいで話しあえる家庭的な雰囲気がある。そこでは皆がもろ手を廣げて迎え入れてくれるからだ。フランスという外国に住む日本人にとって、心の故郷(ふるさと)ともいえようか。康子さんは、このセンターの本来の性格をよく理解しておられた。聖書を深く読みとっておられただけでなく、その教えを身を以って実践された。自分を低くして他人に奉仕し、自分より他人を愛することのできたひとである。このことは言うは易く行うはむづかしいことだ。現実をそのまますべて、残酷な病いでさえヨブのように受け容れて耐えぬいた。だからこそ人から愛され信頼されたのである。康子さんの精神的強さはここにあったのではないだろうか。自分の自由意志で選んだものに最後まで忠実だった人である。彼女が全生涯をかけて私たちに示し残してくれたメッセージは限りなく豊かで貴重である。
 康子さん、ありがとう。ご冥福を祈ります。

M.D.