年間第2主日

ヨハネによる福音 1・35〜42
2006年1月15日


イエスという名前は「神が救われる」という意味を持っています。天使ガブリエルがイエスと言う名前を伝えたのですが、この名前はその方がどなたなのか、そして彼の使命が何なのかを教えてくれています。すなわちご自分の民を世の罪から救われるということです。
使徒ヨハネはイエスを「この世の罪を除きたもう神の小羊」と紹介しています。
では、分かち合いと奉仕と交わりによる共同体を建設するうえで障害となるなる世の罪とは何なのでしょうか。

一つ目、分かち合いを妨げる世の罪はモノに対する執着、すなわち所有欲です。
イエスは人々に対してモノに対する執着から抜け出して、持てるものを分かち合う宴を催すように促します。イエスが金持ちの青年に財産の放棄を要求されたのは、分かち合いの暮らしが本当に共に暮らす道であると確信していたからです。

二つ目、奉仕を妨げる世の罪は権力に対する執着、すなわち支配欲です。
サタンの国の権力の特徴が支配と圧制ならば、神の国の権力は奉仕と自由です。イエスは差別社会と勇敢に対決しながら、差別の無い世の中、奉仕と自由のあふれる神の国を建設していきました。

三つ目、交わりを妨げる世の罪は威信に対する執着、すなわち名誉欲です。
イエスの時代の人々は身分、体面、威信、名誉をすごく重んじました。イエスは主に支配階層の態度を強力に排撃し、偽りの無い気持ちで共に交わることを望みました。もっとも人間らしい姿は隠すことのできない正直さであり高潔さなのではないでしょうか。

世の罪である所有欲と支配欲と名誉欲から抜け出し、みんなで分かち合いと奉仕と交わりによる日本人共同体を建設していってみてはいかがでしょうか。新年を迎えて私たちがこのように暮らしていくとき、神はきっと私たちをお褒めになることでしょう。

アーメン

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