待降節第2主日

マルコによる福音 1・1〜8
2005年12月4日


アメリカであったことです。
当時羊を盗んだ人には、額にS.Tと焼印を押す風習がありました。S.Tとは羊泥棒の略字です。生きている間に他の土地でも泥棒ができないようにというものでしたが、とても残忍な刑罰でした。
ある日、二人組みの男が羊を盗み、額に焼印を押されてしまいました。二人のうち一人はそれでも悔い改めずに、泥棒を働き続けて悪事を繰り返しました。ところがもう一人の方は、村に不幸な人がいると助けてやり、身代わりになって苦しみを受けたり、鞭に打たれたりしました。
そして悲しんでいる人がいると、何日でも一緒にいてやりました。
町の人々は彼がいるということだけで生きる喜びを感じるようになっており、彼は町中の信頼を得るようになっていました。そして町の人々は彼を実の父親のように尊敬しました。歳月は流れて、額に焼印を押した人々はみんな死んでしまい、二世ばかりが残されました。そんな事情を知らない子どもたちはおじいさんを慕い、彼は小中学校や高校の行事ではいつも祝辞を任されるほどに有名になっていました。
そしてもはや羊泥棒の額に焼印を押す風習はなくなりました。
子どもたちはおじいさんの額のS.Tという字の意味を聞きました。
すると人々は、「おじいさんは聖なる人だから、あれはsaintの略字なんだよ。」と教えてやりました。
泥棒は聖人へと変わっていたのです。
このように人は変わることができます。

きょうの福音で洗礼者ヨハネは、悔い改めの洗礼を宣べ伝えます。羊泥棒は自分自身を悔い改めたので、聖者となることができました。わたしたちも変わらなければなりません。自分自身が変わらなければなりません。他の人が変わらなければ私も変わらないという思いでは、世の中を変えることはできません。
まず自らが変わらなければならないということが、待降節の精神なのです。

アーメン

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