年間第30主日

マタイによる福音 22・34〜40
2005年10月23日


旧約聖書と新約聖書を通じての核心的な福音が、今日まさに登場します。

道角に一人の盲人が座っていました。
ところがその盲人は夜になると、手に灯りを持って座っています。通りすがりの人々は、目の見えない盲人が灯りを持っているので不思議そうにしています。そのうちの一人が盲人に尋ねました。
「あなたは目が見えないのに、意味も無くなぜ灯りを点しているのですか?」
すると、盲人はこう答えました。
「おっしゃるとおり私には灯りは必要ありません。しかし、暗いこの道を通り行く人々には必要でしょう。もし道が暗かったら私が邪魔になって困るじゃないですか。だからこうして晩には灯りをいつも点しているのです。」

そうです。盲人は他人のために灯りを点していたのです。盲人は二つ目の核心である「隣人を愛すること」を実践していたのです。隣人を愛する人は自ずと神を愛することになります。ところが神を愛していると言っておきながら、隣人にそっぽを向くようであれば、それは神を愛しているとは言えません。

愛はその性格上、外に向かっています。
自分の外へと向かうものです。単に私一人だけではありません。私たちの外へも向かうのです。我が家、我が友、我が町、我が国、またこの外へも向かうのです。このように外へ向かう愛をつまずかせる障害物は、まさに自分のことしか知らない利己主義だといえるでしょう。
イエスは利己主義に従う者たちにおっしゃいます。
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。」

愛にも「井戸の中の蛙」がいます。井戸の中の蛙の愛は真の愛となることがありません。

今日のイエスは私たちに二つのことを話しておられます。
「神を愛しなさい。そして隣人を愛しなさい。」

アーメン

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