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 第九回 エルサレム イエス受難と復活の舞台

ゲッセマネ…「万国民の教会」の建つゲッセマネの園は、エルサレム旧市街の東に広がるオリーブ山のふもとである。イエスはたびたびここで祈っていた。最後の晩餐を終えたイエスが弟子たちと祈りに来たのはこの園である。祈るイエスが身をもたせかけたといわれる岩が現在の「万国民の教会」の内部にみられる。少し離れた地下聖堂には、眠りこける二人の弟子が彫刻になっている(マタイ26章36〜46節ほか)。三人目は、巡礼者本人であろうか。

鶏鳴教会…エルサレム旧市街、城壁外南部に位置するこの教会は、かつてのカイアファの館といわれている。今も残る地下牢は、ゲッセマネで逮捕されたイエスが一夜を明かした場所のはずである。この大祭司の館の中庭でペトロはイエスのことを「知らない」と言う。イエスの予言通り師を否認したペトロは、鶏の声に慟哭する。これを記念?して、鶏鳴教会の頂には鶏が置かれている。この教会の脇の石段はローマ時代のもので、連行されたイエスはここを踏みしめたかもしれない。中庭のペトロ像には「Non novi illum.」(わたしは彼を知らない)と刻んである。

総督官邸…イエス時代の神殿はヘロデ大王建設の第二神殿である。この神殿の北西側の壁に接してローマ総督ピラトの官邸であるアントニウス要塞があったと想定される。イエスの裁判の場所であり鞭打ちの場所であるとされ、現存する地下の当時の石畳(ヨハネ19章13節参照)にはローマ兵の落書きも残されている。当時の官邸の一部で現在路上に位置するアーチが「この人を見よ」(Ecce Homo)のアーチで(ヨハネ19章5節参照)、十字架の道行きの出発点ともいえる。

聖墳墓教会…イエス時代、この場所は城壁の外であった。4世紀のローマ皇帝、コンスタンチヌス帝はキリスト教公認後、調査の上イエスの墓の位置を同定し、これをすっぽり覆う巨大なバジリカを建設する。時代を経て、現在の聖墳墓教会の中には、イエスが十字架に釘付けにされた場所、イエスの十字架が立てられた場所(ゴルゴタの丘)、十字架から降ろされたイエスに香油を塗った場所、そしてイエスの墓を見ることができる。ゴルゴタの丘に据えられた聖母像はポルトガルからの贈り物で、胸を剣に刺し貫かれて涙する聖母の姿が痛々しい(ルカ2章35節)。キリスト教各派の礼拝所がひしめくこの聖地には巡礼者が絶えない。

園の墓…イギリス国教会のゴードン将軍が「発見」したイエスの復活の場所。実際はバスターミナル建設工事で崖を切り崩したことによって生じた景観であるが、諸派ひしめく聖墳墓教会よりも復活の朝の雰囲気を体験できる場所として巡礼者が多い。墓の扉には「彼はここにはいない。復活されたからだ。」(マタイ28章6節ほか)と刻まれている。

聖十字架発見の洞窟…聖墳墓教会の内部、地下聖堂の奥に、「聖十字架発見の洞窟」がある。コンスタンチヌス帝の母ヘレナが、イエスの十字架を発見した場所とされる。伝説によると、その折、三本の十字架が発見され(イエスと二人の盗賊。マタイ27章38節ほか)、イエスの十字架を同定するために病人に触れさせたと言われる。イエスの十字架に触れた病人はそのとき癒された。聖十字架の一部破片は、時代を経てルイ9世が買い取り、フランスにもたらされた。