前回へ
目次にもどる
次回へ

第九回  祈り  祈祷書にみる伝統

   「絶えず祈りなさい。」(テサロニケの教会への第一の手紙5章17節)と聖パウロはいう。豊かな祈りの伝統から生まれた道具である祈祷書を用いて、祈りを学び実践することができる。

■いつ祈るか。
 「絶えず」祈るために、現在の教会の聖務日課(日本語では「教会の祈り」)では、読書課・朝課・昼課(三時課・六時課・九時課)・晩課・終課が定められ、一日にちりばめられている。中心はその日のミサである。祈祷書をみると、この精神が理解される。すなわち、教会の暦と意向を意識しながら、朝目覚めたとき、また夜休むとき祈る。朝・昼・晩にお告げの鐘(アンジェラス)に合わせて「お告げの祈り」(復活節は「アレルヤの祈り」)を唱える。食事の前後に、また何か物事をはじめる前と後に祈る、などである。神様への挨拶として、また償いとして、あるいは誘惑を感じたときなどに助けを願って祈る。

■ どう祈るか。
 祈りは呪文ではなく、神様への心の叫びであり、神様の声を聞くこと(聖書の言葉を受け入れること)であるから形式は問われないが、皆で一緒に祈るために、また祈りが独り善がりにならないために、意味をよく考えながら祈祷書を用いることは有益である。聖書を読むことも祈りの一つである。
 キリスト自身が教えてくださった「主の祈り」は、祈りの中でも一番大事にされるものである。また、伝統的に教会は詩編の言葉を祈りに用いている。(ロザリオの15玄義は150編の詩編に対応する150の天使祝詞からできている。)その他、一日の終わりに聖母讃歌「元后あわれみの母」(Salve Regina)や「天の元后」(Regina caeli)などを歌いまたは唱える習慣がある。
 神様に対する祈りと、聖母を始めとする聖人に対しての祈りははっきり区別される。たとえば連祷を見ると神様へは「われらを憐れみ給え」であり、聖人へは「われらのために祈り給え」である。

■ 信心など。
 伝統的な信心業として聖体訪問、ロザリオそして十字架の道行を挙げることができる。
 聖堂を単に見物するだけでなく、聖体の前で祈る。このとき、祈祷書に収められた聖ベルナルド(11〜12世紀フランスのシトー会士)や聖トマス(13世紀イタリアのドミニコ会士)などの聖体に対する祈りが助けになる。聖堂内の聖体の場所は、赤く灯された聖体ランプで知ることができる。
 ロザリオはもともと、仕事や時間の都合で詩編を唱えることが難しいときでも、祈りを続けることができるように生まれたもので、聖ドミニコ(13世紀・ドミニコ会の創始者)の発案と言われる。聖母とキリストの喜び・苦しみ・栄えの玄義を黙想しながら天使祝詞を唱える単純な祈りで、聖母マリアにキリストへの取次ぎを願う。ルルドの「ロザリオの大聖堂」(Basilique du Rosaire)正面には、聖母子からロザリオを受け取る聖ドミニコが、また聖堂内には左から順にロザリオの15玄義のモザイクが描かれており、祈りを助けている。 
 十字架の道行はキリストの受難を黙想するもので、文面通りである必要はないが移動しながら行う伝統がある。聖堂内には黙想を助けるために14の絵(15留「主の復活」を含む場合もある)が掲げられていることが多い。キリストの受難と復活がキリスト教信仰の基礎であることを考えると、その価値が高いことが理解される。いずれの祈りも、人間がいつも神様に思いを馳せているように与えられたものである。