醇に洗礼を授けていただいて

2002年12月8日のミサの中で、 デュノワイエ神父様の司式により、代母を ドベルグ美那子さん、代父を彼の叔父の 小木曽隆治君で、洗礼名ラファエルを醇に 授けていただきました。皆様の暖かな まなざしを受け、原田神父様のフルートの 音色に包まれながら、その日のミサは 和やかに終了しました。醇、家族にとって、 とても幸せな一日でした。  また、式の中で神父様が「各自の洗礼を 思い出して。」とおっしゃり、気持ちよく 寝ている醇を抱きながら、参列されている 方達と共に洗礼の頃を思い出すこともできました。

  10年前のクリスマスの時、私は四谷の イグナチオ教会で受洗しました。 カテキズムを担当された粟本神父様の、 明晰なお話しに促されていったということが、理由の第一に挙げられますが、知人や親戚に、カトリックの信者が多くいたということも、今思えば、抵抗なく受洗できた大きな理由に挙げられます。小学生の頃、いとこと教会のクリスマス会に行ったことや、よくお世話に なったおばさんが地震の時に「マリアさま。」と言って、手を合わせていたこと等が、 故郷の風景とともに、思い出として根付いています。また、聖書の世界を主題に小説を 書いてきた叔父は、彼自身の洗礼の動機として、十代で出会ったフランス人宣教師の影響を挙げ、 以下のように語っています。 「・・・今でも日本に外国人宣教師は 大勢いるでしょうが、戦争前と戦後に 来た人には十字架を運ぶくらいの苦労が あっただろうね。でも、僕がそういう人たちにぶつかったことは運がよかったと思って います。つまり、キリスト教の神髄というか、本当の精神に触れた、という感じがしたからね、それも、東京や横浜ではなくてこういう田舎で。」(*) 彼は教義の内容そのもの以上に、 宣教師達の生き方の迫力に圧倒されたのだと 思います。実際、かつてパリ外国宣教会の 宣教師によって開かれた、故郷の静岡県 藤枝教会で洗礼を受けました。

醇の洗礼をパリ外国人宣教会クリプトで、 戦後間もなく日本に宣教に赴いたデュノワイエ神父様によって授けていただいたことは、 私にとって、特別な思いがしました。 同時に、神父様達を、故郷を後に宣教地に 赴かせた「見えざるものの存在」も感じざるを得ませんでした。そして、私達が心に抱くべき本当の故郷は、まさにその存在そのものだと 思いました。その思いは異国に暮らす私達に とって、おおきな支えとなってゆくでしょう。 様々な時間と土地とが結び合い、溶け合って いったような、洗礼の秘跡でした。

感謝の内に         小川 佳夫

(*)「二十歳のころ―小川 国夫にきくー」  (インターネット)より引用。