2003年3月12日
西川 宏人様からのお便り

湯沢 慎太郎 様

 さて、広島・長崎の問題は昨年貴兄に送った小文に書きました篠原正瑛著『僕らはごめんだ』のドイツの青年の言葉がすべてを語っていると言っても過言ではないでしょう。特にここへきて、米英両国が無理やり(残念ながらその走狗となっているのが日本政府です)イラク攻撃をしようとしているところに表れています。核兵器使用さえ公言しているのは、イラクが彼らアングロサクソンから見ると「異人種」だからでしょう。すでに劣化ウラン弾さえ使用しているそうですが、これとて広島・長崎の原爆とどの程度の差があるのか、ぼくにはつまびらかでありません。むしろ貴兄のほうが詳しいのではないでしょうか。
 最近読んだ酒井啓子氏の『アメリカとイラク』をはじめ数冊のアメリカとイラクに関する文献、およびアメリカ自身の抱える問題を鋭く又適確に抉り出した藤原帰一氏の『デモクラシーの帝国』などによると、世界で唯一の軍事大国となったアメリカは、またその中でも極端に「国威発揚」を目指すグループは、一方においてイスラエルを守るべく、パレスチナ支援をするイラクの存在が目障りだということからイラク攻撃に走っているのだそうです。
 イラクが国連決議を無視していると言うなら、なぜ同じく国連決議を無視してガザ地区および西岸地区に入植地と称して占領地区を増やしているイスラエルを非難しないのでしょうか。「入植地」とは、かつて日本が「満州開拓」と称して中国を侵略したのと同じです。そして開拓民保護のために軍隊を派遣しました。その構図を現在イスラエルが国益のためと称して戦車とミサイルでパレスチナの民衆を殺害しています。後者が自爆行為で仕返ししても、「とうろう蟷螂のおの斧」に過ぎませんが、これをもテロだと極めつけて非難しています。もちろん9・11の悲惨な事件を起こした行為を擁護するつもりは毛頭ありません。9・11とパレスチナの民衆の「蟷螂の斧」的行為は別問題です。別の次元で論じられるべき問題であって、同じテロというカテゴリーにいれるのは、あまりに乱暴な考え方です。
 ぼく自身B29爆撃機から落とされた油脂焼夷弾が、尺玉花火が開くように、あるいは満点の星のように開き、その一つが走って逃げるぼくの右肩をかすって畑に突き刺さったので辛うじて無傷で逃げおおせたことを、ついこの間のことのように思い出します。そのためか、つい最近まで、打ち上げ花火を見る気にはなれませんでした。つまり、戦争の犠牲者はいつも民衆であって、決して支配者ではないということです。先の手紙にも書きましたように、裕仁天皇、東条英機をはじめ多くの責任者たちは生きながらえました。
 貴兄も書いているように国体護持の名目でポツダム宣言を黙殺したために広島・長崎の惨事を招いたわけです。民衆の生活・生命など為政者の眼中には入らないようです。米英のメディアが宣伝しているような「きれいな戦争」などありえません。戦争は人間を残酷な獰猛なものに変貌させます。そして、戦争を始める者たちは常に「正義のため」と言います。決して「これは侵略戦争だ」と言って戦争を始めた例はありません。
 もちろん、ぼくは決してイラクのフセイン大統領が正しいとは考えてはいません。それは最近読んだ著書の筆者たちも同様です。しかし、ここへきてなぜ米英が強行策にでるのか、現在彼らが披瀝する理由には説得力がないからです。イラクがイクラ頑張ってみてもアメリカを攻撃できないでしょう。また、イラクに「民主主義政府を」と言ってみても、その隣のサウジアラビア、ヨルダンなどは王国ではありませんか。また、アルカイダなどのテロ組織との関連については、多くの専門家たちがその関連を否定していますし、米英はその証拠を提示していません。
 昨夜も、深夜放送のラジオで、ディスクジョッカー(日本語も話す英語圏の男性)と日本の若者とが電話でイラク問題を討論していましたが、後者は現在の日本政府とアメリカの言い分をそのまま繰り返し、前者がどのように説得しても「イラクが悪い」「9・11の報復は当然だ」と言い張っていました。アメリカの多くの民衆もあるいは同じ状況かもしれません。21世紀は戦争がなくなるのかと淡い期待を抱いたこともありましたが、やはり人間の欲望がなくならない限り・・・。実は、MontaigneがEssaisの中で、「自然の欲望は善であるが、人間の欲望は悪である」という意味のことを書いています。自然の欲望は、たとえば一人の人間が食べる肉の量はしれたものです。満腹すればそれで終わりです。しかし人間の欲望は牛を100頭所有すればもっと欲しくなるでしょう。今のアメリカがまさに人間の欲望にとらわれている姿だと言えましょう。
 最後にPascalの1節を引用しましょう。「力のない正義は無力であり、正義のない力は専制的である。(L。103)」「専制とは、自分の次元(ordre)を超えて全面的に支配しようとすることにある。(L.58)」 このたびのブッシュの発想と行為はまさに専制的行為と言わざるをえません。
 
 どうぞお元気で・・・Dunoyer神父様によろしく・・・

          西川 宏人

 

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